アメリカ留学前の思い出

色々なファカルティーや学生と話しているとき、アメリカに留学する前はどんな感じだったか思い出した。
アメリカに留学しようと決めたのは大学4年生になってからだった。自分の所属したい研究室にジャンケンで負けて入ることができなかった(笑)ので、どうせなら大学院で全然別のところに行ってしたいことしてやるぜ!と半ば勢いで決めた。それ以前にも友達がアメリカなどに語学留学していたりして、ちょっと羨ましかったりもしたんだけど。でも自分としては語学留学で海外に行くのはなんとなくイヤだった。結局留学しても英語勉強するだけかよ、みたいな。英語はただのツールだし、英語を知っていたからといって仕事ができるようになるわけでもないやん、と思い込んでいたのだ。あと、そのちょっと前にイギリスに旅行に行ったのも大きかった。家族がアイルランドに旅行に行っていて、現地で合流したのだけど、家族が帰ってから一人でイギリスに立ち寄って、オックスフォードやケンブリッジの大学を見て回ったのだ。別に大学の中の人間に知り合いがいるわけでもないから、外側をぐるぐる観光客として歩いただけだったけど。でもそれがモチベーションとして、あるいは具体的な海外留学のイメージとして後々まで頭の中に残った。留学すれば、ああいう場所で研究できるんだ、と。ついでに英語も勉強できて、いいことだらけじゃないか、と。まあ、現実としてはオックスフォードとケンブリッジは例外的に綺麗だという事実に後で気がついたわけなんだけれども。
でも、実際に当時の自分を動かしていたのは「思い込み」だった。これまで、この「思い込み」がかなり重要な役割を果たしてきた。いい意味でも悪い意味でも。高校のころの数学のテストではよく思い込みによる間違いで失敗をした。問題に書かれていない前提条件を思い込んでしまうのだ。大学に入ってからも、大学生は遊ぶものだ、という思い込みでちょっと遊びすぎた感が無きにしも非ず。でも思い込みは自分の将来の進路を決める上ではプラスに働く。少なくとも俺はそう「思い込んで」いる。例えば海外留学するとき、決めた当初は思ってもみなかった障害が次々に降ってかかる。意思が相当強くなければ、途中で「もういいか。留学しなくても普通に生きていくことはできるやろ。」と諦めていまいそうになる。そこで「思い込み」の登場だ。「留学すれば、観光名所になるような綺麗な建物で生活できる」とか「留学すれば、語学留学に来ているかわいい子にもてる」とか壮絶に俗な理由をひねり出すのである(これらは全て叶わなかったが)。高尚な理由はあとで考えればいい。まあ、こういう感じで、ひたすら前を見て最初の数ヶ月はTOEFLの勉強なりGREの勉強なりを毎日していた。
今から思えば、当時の俺は無知のアホだった。まず、基本的にオハイオがどこにあるのかも知らなかったし、アメリカの大学院がどのような仕組みになっているのかも知らなかった。叔父さんが「留学するなら中西部に行くべきやで。西海岸に行ったりしたら一日中サーフィンして遊んでしまうよ。」と言っていたので、なんとなく中西部の州を当たってみたが、地図も持っていなかったので、実は中西部がアメリカの東側にあることも知らなかった。出願方法も大学によって違うので、とりあえず学科のディレクターにメールしてみて、パンフレットを取り寄せようとしたのだが(当時は英語でウェブの見たい情報を見つけるのに一苦労した)、「Check(小切手)で8ドル送ってくれ」と言われて小切手が何なのかわからないという始末だった。それで、一度大学を実際に見に行ってみたらいいということで、バカみたいな英語のEメールを複数の教授に事前に送って(結局半数以下の教授からしかEメールが返ってこなかったのだが)、単身初めてアメリカに行ってみた。もうその当時は俺の英語が下手すぎて、聞き取れないし、喋れないしで散々だった。しかもアメリカの常識がわからないし、日本の常識もあまりないし(笑)で、ほんまにアホな学生に映ったことやと思う。でも最後に会ったドイツ出身の教授は厚くもてなしてくれて、最後に救われた気持ちで帰ってきた。今でもたまに中国人の留学生などで、変わった行動をとる(主に変わった英語の使い方をする)人たちなどがいるが、「自分も昔はあんな感じやったんやなあ」と逆に自分が恥ずかしい気持ちになったりする。
それでもなんとか留学することができたのは、これまでに留学された方の助けや、両親、友達の助けがあったからだと思う。結局、自分の力というのは色々なベクトルの集合なんだと思う。「時代の力」「周囲の人の力」「自分の能力」「思い込み(感情)の力」それらが合わさったものが「自分の力」になる。まあ、これらは単なる言葉遊びでしかないかもしれないけど、意識の持ちようとして、それを忘れないようにしたいな。
以上、梅田望夫さんのブログ島岡先生のブログから辿って読んで思ったこと。