私のアメリカ大学院留学─総集編(3)

約9ヶ月間書いてきたこのブログも、これで一応は最後にしたいと思います。

このブログを書き出した頃は、卒業を間近にしながらポスドクの先も決まらず、将来についてかなり不安を覚えていた時期でした。その頃はもしそのときの申請先からオファーを貰えなければ、真剣に日本に帰ろうと思っていました。日本にはいずれ帰るつもりでしたし、その時期が少し早まるだけだと。でもそれは最良の選択だとは考えていませんでした。5年かそこらアメリカの一つの都市で過ごしただけでは、その後永久に残る何かを手に入れた気がどうしてもしなかったのです。そのとき日本に帰ればおそらく2、3年もすればすっかりアメリカでの生活のことを忘れてしまいそうでした。
別に数年間海外留学するだけでは不十分だと一般的に言っているわけではありません。ただアメリカは広いのです。私の場合オハイオにずっといただけだったので、それだけではアメリカを理解した気がしなかったということです。
結果的にはアメリカでポスドクとして研究を続けられることが決まり、しばらく日本には帰られないということになりましたが、その分、アメリカで私の一生の礎となる経験を積みたい。しかしそのためには中途半端でなく、本気で本業に打ち込みたいと考えています。とりあえず今考えているアイデアに全力投球して、成功すればそれなりの成果を出せるはずですから、その時はまたブログで経過報告をするかもしれません。2年以内にハイプロファイルの論文を出すことを一つの目標とします。
それではまた、その日まで。いままでこのブログを読んでくれた方、コメントをくれた方、星をつけてくれた方、ブックマークをしてくれた方、ありがとうございました。皆さんの何かお役に立てたのでしたら幸いです。もし私を見かけたら、ぜひ現実世界でも声をかけてください。
最後に、Good-bye, Ohio! たくさんの思い出をありがとう!

私のアメリカ大学院留学─総集編(2)

今回は大学院に合格してから卒業までについて書きます。ラストから二つめ(Penultimate)となります。

合格の通知をもらって、オハイオに行くことを決めましたが、それからも色々な準備が必要です。まずはビザを取らなければなりません。大学院生はStudent VisaであるF-1 Visaを取る必要があって、これには大学から送られてくるI-20という書類とパスポートなどを持ってアメリカ領事館に行く必要があります。私はちょうど領事館が混んでいる6月ごろ(アメリカは9月が年度初め)に行ったので、5分ほどの面接のために3時間も待ちました。Visaは発行されるまで1ヶ月近くかかると聞いていたのですが、私は2週間ほどで受け取ることができたと覚えています。

その当時私は日本の大学院にも合格していたので、そこで出発直前まで実験もやっていました。結局やりきることはできなかったのですが、日本で教えてもらった実験技術はその後、非常に役立つことになりました。

実は出発前に大学のテニスサークルの夏合宿に参加して、浜名湖(だったかな?)で1週間ほどテニスをしたその足で成田空港に向かい、出発するという無茶な計画を立てました。合宿に持っていった荷物は大阪の実家に郵送して、成田空港へはスーツケースを1つだけ持って向かいました。文字通りスーツケース1つでアメリカに旅立ったことになります。このケースには英語教本や専門書などを詰め込んでいたので、重すぎて怪しまれたのか空港では中身を調べられたり、カウンターで超過料金をかけられそうになりました。理由を説明してなんとか逃れられましたが。

こうして友達に見送られながら無事にアメリカに向けて出発することができたわけです。最後エスカレーターで友達が見えなくなるときには泣きそうになりましたが、その数ヵ月後のクリスマスには日本に帰省しましたので、それほど大した別れでもなかったのです(笑)メールもありますし、いつでも遠くにいる人と連絡できるので現代社会は便利なものですね。

  • ハイ・アンド・ロー

アメリカに来た当初はすべてのものが珍しい。道を歩いているだけで楽しいし、いたるところに新しい発見があります。英語がわからなくて恥ずかしい思いをすることも多いですが、それを補って余りあるほどの新鮮な驚きに満ちています。ちなみに私がアメリカに行った直後はスーパーのレジの人の"How are you?"さえ聞き取れませんでした(笑)TOEFLでどれだけいい点を取っても実際に使えるかどうかとは別問題である、ということを痛感しました。まあ、現在のTOEFLはスピーキングがあるので、当時よりは相関するようになっているかもしれません。このようなハイな時期は大体2週間くらい続きました。

しかしこの楽しい時期が過ぎると、段々自分の置かれている現実に気がついてきます。友達がいない、うまく英語が喋れない、些細なことで失敗する、アメリカ人に馬鹿にされているような気がする、色々なことが積み重なってきてものすごい劣等感を感じるようになります。このときにどう反応するかには二通りあって、(A)日本に帰りたい、とひどいホームシックにかかって押し潰されるか、(B)アメリカの習慣なんてくそ食らえ、と周りを卑下して自分を押し通すか、です。もしかしたら最初から巧く適応できる人もいるかもしれませんが、私はどちらかというとBの方を行って、ある時期は本当にアメリカを馬鹿にしてました。でもこれも一過性で、アメリカでの生活に慣れてくるとどちらが勝っている、劣っている、ではなく、それぞれの習慣について客観的に見ることができるようになりました。それまでは日本の習慣を押し付けるような行動や発言をしたり、アメリカ人に向かってアメリカを見下すような発言をしたり、かなり鼻持ちならない奴だったと思います。

  • 英語

上述しましたが、最初は全く英語が聞き取れないし、喋れませんでした。自分では割と自信があったのですが、自分がうまく喋れているつもりでも、後になって考えてみれば、なんかごにょごにょ言っているだけの聞き取りにくい英語だったと思います。

アメリカの大学院生はティーチングアシスタント(TA)をする必要があるので、留学生は授業を教えられるだけの英語力がなくてななりません。そこで、入学した直後に英語のスピーキングテストを受けさせられるのですが、私は見事に落ちました。東アジア人はほぼ100%落ちます。インド人のクラスメイトは普通に通っていました。このテストに落ちると、強制的に英語の授業を受けなければならず、私は丸一年間、専門の授業を受ける傍ら、英語を習っていました。しかしその間はTAをする必要がないのですが給料は払われるので、有給の語学学校生のようなものです。ですから得をしたといえば得をしています。

この間に習ったことはとても有益でした。例えばそれまで全く意識していなかった"ə"の発音(「イ」と「エ」の間、英語では頻繁に使われます)など、自分の英語の弱点を洗い出すことができました。ちなみに日本人はよく言われる"L"と"R"の違いだけでなく、母音の発音もかなり気をつけて発音する必要があると思います。また自分の発表風景をビデオに撮って何度も復習するので、自分の発表の仕方を大きく改善することもできます、というかしなければなりません。

  • 授業

(以前母校の先生に頼まれてアメリカの大学院の授業について説明したのを引用していますので、少し細かいかもしれません。)
私の大学では4学期制を導入しており(アメリカではほとんどが2学期制)、1単位は、週に1時間の講義を10週間受けた場合に相当します。実験の場合はその2倍の時間で1単位でした。アメリカの大学ではクラスごとに3桁の数字が割り当てられていますが、大学院生レベルのクラスは600番台以上で、ほとんどのクラスは講義です。私は結局実験のクラスはとりませんでした。

後述しますが、Ph.D.を取るためには、入学2−3年後にCandidacy Examと呼ばれる試験を受ける必要があり、それまでは毎学期(夏学期を除く)12単位(TAの場合)もしくは9単位(RAの場合)以上の授業に登録する必要があります。そのうちの3単位はそれぞれ論文実験、外部招聘者によるセミナー、院生によるセミナーに割り当てられており、これらは必須です(成績は可、不可のみ)。Candidacy Exam以降は、これらの3単位に登録するだけで、それ以外の授業を受ける必要はありません。

私の学科(微生物学)では、単位数の基準を以下のように定めていました。

1.微生物学の授業(セミナー、論文実験を含まない)をB以上の成績で20単位以上
2.生化学の授業をB以上の成績で8単位以上

これらを最初の2年で修了します。ほとんどの授業は1科目週2−3回で、3−5単位です。それらを毎学期2科目とるのが基本です。学生は4学期のうち1学期を休んでもいいので、夏学期には授業がありません。そのかわり、ほとんどの院生は実験をしています。

さて、肝心の授業の内容ですが、私がこちらの大学院で受けた授業は、スタイルとしては学部生のための授業とそれほど変わりありません。ただし、遥かに盛り沢山な内容です。

例えば、核酸についての授業であれば、転写、翻訳の機構などはイントロでおさらいはするものの、X線構造解析やNMRの原理、タンパク質-DNA相互作用モチーフ、核酸とリガンドの相互作用などを扱います。微生物生理学の授業であれば、基本代謝からゲノミクス、膜タンパク質の発現制御まで扱います。それぞれの項目には参考文献がほとんどの場合付いていて、原著を手繰ることもできるようになっています。また、論文発表が中心のクラスでは、授業にどれだけ参加したかが成績に加味されるので、皆、(多少は)質問します。た、グラントの申請書類を書く模擬練習もしました。

全体の印象としては、私が日本の大学院で受けた大学院の授業に比べて、こちらの授業のほうが、より体系だっていると感じます。授業は日本の大学と同様に教授が行いますが、大抵1科目につき1−3人が担当し、皆ちゃんと準備をして、自分の専門でなく、クラスの趣旨沿ったより一般的な知識を教えてくれます。また、プレゼンテーションをする機会も多く、グラント申請の練習もしました。

日本の大学院では授業一つあたりのコマ数が少ないので、あまり大きな話ができないのと、教師がコロコロかわったりするので、授業に一貫性があまり無いことが気になりました。アメリカのように名前を覚えてもらうこともあまりないですし。ただ、(教授の研究室の)ナマのデータを聞くことができるので、そういう意味では、研究をすることがどういうものなのか、ということを学ぶのには役立ったかもしれません。あと、あまり授業に時間をとられませんし、ローテーション(研究室のお試し期間、「研究」の項を参照)もないので、早く結果を残したい場合や、就活を始めたい場合などには、日本のシステムは便利かもしれません。アメリカでは修士で卒業したいという人はまずいないので、システムもそれに合ったものになっているのかもしれません。

授業時間は、私の大学では学部から大学院まで一貫して45分で休憩15分でした。たまに75分の授業もありますが、稀です。日本で所属していた大学院の授業は90分はでしたが、かなり長いと感じました。私の研究室の教授は人間の集中力は20分が限界だ、といつも言っています。

アメリカで授業を受けて気がつくことは、アメリカでは授業やセミナー中に寝る人が日本の授業に比べて極端に少ない、ということです。私も日本ではよく眠気に襲われることがありましたが、どういうわけかアメリカに来てから授業で眠たくなることはありませんでした。まあ、英語を必死で聞こうとしていたからかもしれません。でもこれではアメリカ人の学生が寝ないことの説明にはならないので、私なりに理由を考えてみると、

1.アメリカの大学院授業には試験が3週間おきくらいにあって、成績がB以下になったらキックアウトされるので、みな勉強する動機がある。
2.アメリカでは寝るような授業に出るのは時間の無駄であると考える人が多い(選択肢が多いから?)。
3.日本の大学院生は夜中まで実験をしていることが多く、睡眠時間も短い。アメリカでは7時以降まで毎日実験をする人はまずいない。
4.寝ないように努力するかしないか。アメリカではよく授業にコーヒーや飲み物を持ってきて飲んでいる人を見る。
5.みんな寝ていないから寝ない。逆に皆が寝ていたら寝る。
6.高校、大学からの習慣。
7.椅子の座り心地。

などが挙げられると思います。ただ、アメリカでもアジア人は(まれにですが)寝てる人が多いのでもしかしたら文化的な要因もあるかもしれません。これらはあくまで偏見に満ちた推測です(笑)

  • TAとRA

アメリカの大学院の素晴らしい点は、大学院生には授業料免除はもちろんのこと、生活費として毎月給料が支払われることです。理系の場合は誰でも給料が支給されるのが一般的ですが、文系の場合はそうとも限らないようなので注意してください。給料を希望しない人はいませんから、私の学科では大学院生全員が給料をもらっていました。

給料をもらう方法には3通りあります。(A)TAになって授業を教える、(B)リサーチアシスタント(RA)になって研究だけに専念する、(C)奨学金を獲得する、です。それぞれの給料の出所は(A)大学、(B)研究費、(C)奨学金財源となっています。

RAとはつまりTAをしなくていい大学院生のことで、自分の所属する研究室で実験をすることに対して給料をもらえる仕組みです。TAに時間を取られなくてもいいという点で、(B)か(C)が理想ですが、RAの場合給料は研究費から支給されるので、研究室に十分なグラントがなければ、RAにはなれません。奨学金は運と能力がないと貰えません。そこで研究室にお金がないと、大学院生はTAとして学部生の授業を担当する必要があります。

それじゃあもしTAが多すぎて担当する授業が無くなってしまったらどうするの?と疑問を持つ方がいるかもしれません。しかし給料がもらえなければ、ほとんどの生徒は生活できないので、大学院をやめなければならなくなります。学科としてもそれは困るので、RAができなければ、無理矢理にでもTAの口を手配してくれます。今まで、TAになれなかった人は聞いたことがありません。あまりにTAの仕事態度が悪くて(無断欠勤などで)解雇された学生はいましたが・・・。

日本の大学院生は無給のRAのような立場ですが、その割には実験をアメリカのRA並かそれ以上やるので、割りに合わないと思いうのです。ヨーロッパではアメリカ式の給料がない代わりに奨学金が充実していると聞いたことがありますが、真偽はわかりません。

  • 研究

こちらの大学院の授業は、コマ数も多く、試験も充実しているので、それだけで結構な時間を取られます。そのため、最初の一年はあまり実験に集中できないのですが、その間はローテーションという形で色々な研究室を見て廻るいわゆる「お試し期間」なので、ローテーションが終わる翌年の夏からは本格的に研究を始めることができるようになっています。

このローテーションという制度は私が手放しで賞賛できる制度で、大学院生は入学当初はプログラムに所属する(時には外部の)研究室のどこにでも行ける可能性があるのです。もちろんその研究室のスペースや研究費の関係で学生を取れないこともよくありますが、入学前から特定の研究室を指定する必要はないので、入学後にじっくり自分のやりたいことを体験を通して選択することができるのです。私も入学前に考えていた研究室には結局行かず、ローテーション中に「これだ!」と思った研究室に参加しました。大学院生にとって入学する前に研究室の内情を知るすべはないので、この制度はありがたかったと思います。

実験を行うにあたっては日本の研究室で習ったことは非常に役に立ちました。アメリカの学部生は研究室で研究をすることを義務付けられていないので、実験に関しては何も知らない学生も結構います。まずはピペットマンの使い方から覚えなければならない、とか。それに比べて私は曲がりなりにも一通りの基本的な実験を自分でできるようになっていたので、スタートダッシュはクラスメイトに比べてかなり速かったと思います。これは日本人の学生がアメリカの大学院で成功する確率を高めてくれると思います。知識に関してはほとんど差はないと思います。ただしこの法則はいわゆる一流大学では通用しないかもしれません。

アメリカの研究体制については以下の過去エントリーを参照してください。

[参考] 日本の科学のこれからアメリカ大学院留学の利点

  • Candidacy Exam

Candidacy Examとは日本の大学院で言うところの博士課程入試に相当し、これに合格すれば博士候補生(Ph.D. candidate)になることができます。一旦候補生になってしまえばそれから何年かかろうとも、博士号を取ることは保障されます(常識の範囲内で実質的な上限はあるでしょうが、10年近くいることも不可能ではありません)。もしこの試験に不合格だった場合、希望すれば修士号を取ることができます。また、試験前でも、ドロップアウトしたいときは論文を提出して口答試験に通れば修士号を取得して退学できます。日本と違って、修士号は博士号を取れなかった(もしくは取らなかった)人への手土産のような位置づけです。

この試験を受けるためにはまずこれからの自分の研究を審査する委員会(Graduate Committee)を教授を選ばなければなりません。これに参加する教授は普通自分の所属する研究室のボス(アドバイザー)を含めて4人で、そのうちの1人は他の学科から指名するのが理想的です。誰を選ぶかはその学生の裁量に依っています。私は最初お願いした教授に無下に断られたので、「こんにゃろー、もう年寄りには頼まねー!」と反発して全員30代の若手教授になりました(笑)でも若い教授のほうが年齢も近いし時間もあるので、なにかと相談に乗りやすいというメリットはあります。

試験では、「今まで何をしたか」よりは「これから何をするか」と「そのために何を知っているか」が焦点になります。まず15ページほどの研究計画(プロポーザル)を提出し、それが委員会に認められれば口頭発表して委員会のメンバーからの容赦ない質問に答える、という流れになります。私の場合は予想したほど厳しい質問はなかったのですが、人によっては泣き出すこともあるようです。怖いですねー。私のクラスメイトは全員通りましたが、10人に1人くらいは落とされるようです。他のプログラムや大学ではもっと厳しいところもあるという話も聞きますので場所にもよると思います。

  • ThesisとDefense

実験でいくつか結果が出て、論文も何報か出すと、「そろそろ卒業できるな」というのがわかってきます。私の学科には「論文を何報」等の明確な基準はありませんでしたが、1報か2報論文を出せば普通は卒業できます。ボスに聞いて「いけんじゃね?」と言われれば大丈夫です。私は幸運にも早い段階で論文を出せたのですが、卒業した後の行き先を決めるのに時間がかかったので、それが見つかった時が卒業する時でした。ポスドク先を探していた頃については、「Traveling」のカテゴリを参照していただければインタビューの時の様子が書いてあります。

卒業するためのステップは、基本的にCandidacy Examと同じように筆記(Thesis/Dissertation、博士論文)と口頭試問(Defense)に分かれていますが、今回は「今まで何をしたか」が主題になります。Thesisは私のやつは6章構成で、最初の1章は序論、最後の1章はPerspectives(これからの課題)で、その他の4章は研究結果を元にしていました。ほとんどの結果はすでに論文として発表していましたので、論文をつなぎ合わせただけでした。こう言ってはなんですが、それまでの苦労と比べれば卒業すること自体はそれほど難しくありませんでした。Defenseまで行くとほとんどの人は通るようです。落ちるような人はそもそThesisが承認されません。

Defenseの様子は下のエントリーを参照してください(大したことは書いていませんが)。
[参考] Call me Doctor

  • 卒業

卒業が決定すると、研究室でパーティーをしたり、クラスメイトとバーベキューをしたり、かなり精神的に楽になりました。"Free as birds"ですね。私は4年と9ヶ月で卒業したことになりますが、クラスメイトで一番乗りでした。私のプログラムの平均卒業年数は6年なので早いほうではありました。化学系では5年が当たり前らしいですが、まあ私の研究分野は生化学に近かったので、妥当なほうかもしれません。
卒業式の様子は「卒業」カテゴリを参照してください。Ph.D.アメリカで取れたことは私にとっては誇りであり、それまでの過程はつらくもありましたがいい思い出です。
最後のエントリーは1週間ほど後になるかもしれません。

私のアメリカ大学院留学─総集編(1)

いままで何度となく振り返っていますが、最後に私の留学体験を時間軸に沿ってまとめてみます。ラストから三つめです。

  • 留学を志す

小さい頃は大の外国嫌いでした。家族旅行で海外には何度が連れ出されましたが、外を見てまわるよりもホテルの中で閉じこもっているほうが好きでした。外国人に言葉は通じないし、ジロジロ見られているような気がするし、とにかくシャイだったのです。それがなぜ大学を卒業してアメリカに留学する気になったのか。
本当のところを行ってしまえば、これだ!という明確な理由はないのです。「なんとなく」というのが一番正直な答えかもしれません。なんとなく面白そうだから、なんとなくカッコいいから、なんとなくためになりそうだから、その程度の理由です。一度決めてしまうとてこでも曲がらないような所が昔からあったので、思いついてからの行動は一貫していたと思います。その「なんとなく」に貢献したと思われる事柄をリストアップしてみると:

1.母が家をよく外国人のホームステイ先に提供していた。
2.父が博士号取得と海外留学を共に勧めていた。
3.大学の友達に海外留学(語学学校など)をした奴が何人かいて話を聞いていた。
4.大学3年の時にイギリスを旅行して大学を見る機会があった。
5.アメリカの大学院は給料をくれるということを知った。
6.アメリカの大学院に行けば英語も専門知識も学べて一石二鳥だと思った。
7.大学4年の時にジャンケンで負けて希望の研究室に配属されなかった。
8.日本の古い研究室体制に嫌気が差した。
9.そのとき積極的に日本に残る理由が見つからなかった。
10.クラスメイトのほとんどは同じ大学の大学院に進学するので何か皆と違うことがしたかった。

とこういう感じでしょうか。最初はイギリスの大学がいいなあ、と思っていたのですが、生徒や研究の多様性と質、給料の点(アメリカは大学が給料を保証してくれるのに対し、イギリスは奨学金により払われる)などでアメリカに行きたいと思うようになりました。最終的に「絶対に留学してやる!」と思ったのは大学3年の終わりの研究室配属以降でした。大学院の申請準備には最低でも1年はかかるのでギリギリでした。当然それまでに留学に関するセミナーなどにも出席しておらず、全く手探りで始めることになりました。
[参考] アメリカ大学院留学の利点

  • 大学院の申請準備

さて、全く何もわからない中で、とりあえず情報を集めなければなりません。まず始めたのは周りに留学経験者を探すことでした。しかし残念ながら、日本の大学で海外大学院経験者を探すのは容易ではありません。ほとんどの教授は同じ大学を卒業して同じ大学院に進み博士号を取った人たちばかりで、海外留学したといっても大概はポスドクで数年間アメリカにいた、という方しかいないのです。多くの人がもし海外留学を志したとしてもここで挫けてしまうと思います。とりあえず周りのサポートがほとんど得られないのです。「もう留学なんてしなくてもこのままでいいや」と思ってしまう人がいたとしても無理はありません。
それでも私は幸運でした。ちょうど近くの研究室に私の5年ほど前にアメリカの大学院に留学された方がいたのです。その方以外には私の知り得た限りでは前例がありませんでした。その方はすでにアメリカにおられたのでさっそくコンタクトを取って、様々な助言を仰ぎました。その方が創設されたアメリカ大学院留学生のメーリングリストにも参加して、そこに参加しておられた方々にも多くの助言をいただきました。これらの方々がいなければ、私は途中で留学を諦めていたかもしれません。
以下にそのメーリングリストへのリンクを示しておきます。もしアメリカの理系大学院に留学しみたいなと思っている方がおられれば、ぜひ参加してみてください。過去ログにも沢山の有用な情報が載っています。
Kagakusha:サイエンス大学院留学ML
シゲキ的。バイオな法則(杉井重紀さんのページ)
志望の大学院は、「自分の興味のある分野で有名雑誌に研究を発表している教授のいる大学」で中西部にある大学を主にPubmedで探しました。大学院選びについては過去のエントリーを参照してください。こればっかりは自分の興味のある分野に詳しい人でないとなかなか実情はわからないと思います。最後は直感で選んでしまってもいいかもしれません。一度に出願するプログラムの数は私は3つでしたが、10箇所以上に同時に申請することも可能です。ただ後述するエッセイや推薦状をいくつも用意しないといけないので多少手間はかかります。
こうして志望先を見つけてからは、ホームページを見て、申請に必要な書類を確かめなければなりません。サイトのレイアウトはプログラムによって全く違うし、同じ内容であっても呼び方が違ったりして、欲しい情報を手に入れるのに私は散々苦労しました。"Faculty Bios"やら"Faculty List"やら"Directory"など全部同じことを指していたりします(この場合は教授の名前リスト)。まあ大概は学科のホームページに行って"Admissions"や"Graduate Program"あたりをクリックすれば、大学院の申請に関する詳細を見ることができます。
ちなみに私が大学院の申請に際して用意した書類:

1.申請カバー用紙(経歴など)
2.TOEFLの成績
3.GRE(Graduate Record Examination)の成績
4.大学の成績
5.エッセイ(Statement of Purpose)
6.推薦状3通
7.(Optional)GRE Subjectの成績

もしかしたらこの他にも大学によって提出しなければならない書類があったかもしれません。大学のホームページは必ずチェックしてください。TOEFLGRE(GeneralとSubjecct)に関しては、詳しく書いていくとそれぞれで何冊もの本を書けるくらいなのですが、ここでは簡単に書きます。
TOEFL
私が受けたのはTOEFL-CBT(Computer-Based Test)でリスニング、文法、ライティングの三科目で合計300点として計算されました。現在はCBTに代わってiBT(Internet-Based Test)が主流になっているようで、文法がなくなってリーディングとスピーキングが追加されたようです。日本人は文法が一般的に得意だと思うので(私も最終的に文法だけは満点を取れました)、これはちょっと日本人としては痛い変更ですね。私の場合、リスニングには一番苦労しました。でもその分、糊代(のりしろ)は多く残されています。合計3回テストを受けましたが、リスニングが一番伸びて、最初25問中半分ほどしか正解しなかったのですが、最後には22問正解できました。とにかく英語を毎日聴いて、手当たり次第に問題集を解いていくしかないんじゃないかと思います。ライティングも同様です。私の時は300点中250点取れればほとんどのプログラムの必要条件は満たしていました。
[参考] TOEFL公式ホームページ(英語)CIEE TOEFLのページ(日本語)Wikipedia
GRE
GREは大学院のためのセンター試験のようなもので、GeneralとSubjectがあり、それぞれ一般知識・能力と専門知識を問われます。これはアメリカ人と同じ土俵で勝負しなければなりません。GeneralではAnalytical(作文)、Verbal(国語)、Quantitative(数学)の三つのセクションがありますが、はっきり言って数学以外はかなり苦戦しました。数学はほとんど算数のような感じでアジア人なら満点を取ることも珍しくありませんし、私も満点でしたが、verbalはさすがにアメリカ人の国語だけあって難しい。でも留学生にも関わらずverbalとanalyticalの点数が良ければそれだけ審査員に印象付けられると思います。私はこの二つが良くなかったので、できるアドバイスはあまりありません(笑)残念ながら。でもこの二つはかなり早期から問題集などで練習に取り組む必要があることは確かです。付け焼刃ではどうにもならないと思います。
Subjectでは分子生物学や物理学、化学などに分かれたテストが用意されていて、どれか一つを選んで受けることができます。自分の行きたいプログラムの指定されている分野をチェックする必要があります。私は分子生物学を受けました。このテストはペーパー方式で、会場や日程が限られていたのですが、私の時は運良く大阪で開かれていたので比較的簡単に受けることができました。現在ではどうかわかりませんが住んでいる場所によっては遠くに行かなければならないかもしれません。あと、このテストはプログラムによっては提出しなくてもよい場合があるので、成績が気に入らなければ提出しなくてもいいかもしれません。私は今いるプログラムの申請にはSubjectの成績を提出しませんでした。
[参考] GRE公式ホームページ(英語)Prometric GRE試験予約ページ(日本語)Wikipedia(英語)
大学の成績
大学の授業は真面目に受けましょう!
エッセイ
自分がなぜそのプログラムに応募するのか、その動機の自分のことについてツラツラと書きます。特に決まったフォーマットはないと思いますが、出来ればアメリカ人の知り合いなどがいれば相談することをお勧めします。添削もしてもらわなければなりません。私は英会話の先生に頼みましたが、それ自体は無料でやってくれても、英会話に通うこと自体お金が馬鹿みたいにかかるので、研究室にアメリカ人留学生(他の英語圏から来た人でもOK)などがいればそういう人たちに聞くのがベストだと思います。
推薦状
研究室の教授、准教授、助教、学部のクラス担任、隣の研究室の教授などとりあえず自分を知っている人に頼むのが普通です。でも私の場合は頼んでみると3人中2人に「原稿書いてきて。」と言われたので、ほとんど推薦状でもなんでもなく、自薦状となりました。これは本当はまずいと思うのですが、こういうボスたちも日本では多いと思います。エッセイでも自分を褒めなければなりませんが、他人の目から自分を褒める文章を書く練習もしておきましょう(笑)
 
これらの書類が整えば、ほとんどのプログラムはオンラインで書類を提出できるようになっているので、それをすると同時にこれらをプリントアウトしたものを郵送もしました。TOEFLGREのテスト結果はテストを主催する機関から直接大学に送られます。提出期限は12月から1月にかけてがほとんどなのですが、11月ごろに書類がすべて整っているのが理想的だと思います。プログラムから奨学金に応募してくれる場合があるのですが、その場合の締め切りが通常の締め切りより少し早くなっているので注意しましょう。私は間に合わず、もっと早くから準備を始めていたらなあ、と思いました。それだけじゃなく、できるだけ早くから準備を始めるに越したことはありません。TOEFLGREも一年に5回(?)ほど毎月受けることができるので、自分の満足する点数が取れるまで受け続けたほうがいいと思います。書類を提出し終わった後でも、テストでよりよい点数が取れれば、連絡すれば成績を差し替えてくれます。
合否の結果は3月から5月の間に届くと思います。詳細はプログラムに問い合わせたらいいと思います。
あと、志望大学が決まった時点で、大学を訪れるのもいいと思います。私は10人ほどの教授(全く面識が無い)にメールを送って返ってきた5人くらいの教授の研究室を10月に訪問しました。このときYale Universityの教授にとても親切にしてもらって、その前に他の教授に邪険にされた経験もあってとても感激しました。今でも忘れません。現在所属している大学では綿密なスケジュールを組んでくれて、連絡を取った教授だけでなく、10人弱の教授にかわるがわる会って話をし、大学院生と昼食を共にしました。そういうリクルートに熱心なところもあります。
今から考えると大学の4年生になってからは研究室の実験、(日本の同じ大学の)大学院試験、アメリカの大学院への申請と3足のわらじを履いてかなり精神的余裕もなかったような気がします。もう一度大学生活を繰り返せるなら、(A)大学の授業をもっと真面目に受けて、(B)留学の準備を早めに始めて、(C)できることなら交換留学プログラム(UC Berkeleyなどとの交換留学があった)にも参加したかったと反省しています。
でもまあ、大学時代はまったく無駄だったわけでもなく、サークル活動を通して人間性を磨くこともできましたし、それまで受験勉強ばっかりで狭かった視野を大きく広げる機会を多く持つことができました。勉強と社会活動のバランス感覚がもう少し必要だったな、と思うだけです。
[参考] アメリカ留学前の思い出
このようにして、結局私は申請した中西部の大学の3つのプログラムのうち2つに合格して、そのうちオハイオのプログラムに行くことを決意したのです。大学を訪問したときの印象が良かったですし、若い教授が多く、熱心に指導してくれると感じたのです。そして結果的にはその印象は正しかったと思っています。
留学の準備を進める上で大事なことは、わからないことがあったら怖がらずにすぐに質問することだと思います。プログラムのディレクターにしろ、教授にしろ、メールが返ってこないことも多いですが、くじけず何度でも質問する勇気が必要です。またアメリカ留学経験者の知り合いがいれば、皆苦労を知っているので、誰でも快く味方になってくれるはずです。
私もこのエントリーが一人でも多くの留学希望者の助けになることを願っています。幸運を!!!

お別れパーティー

研究室の皆(5人)で夕食を食べた。ショーンがお嫁さんを連れてきたので全員で6人になった。主にサンディエゴやカリフォルニアについてと研究科のゴシップについて話して、結構盛り上がった。もう5年もいるとボスに気兼ねすることも全く無くなるし、自分で自分のことを古株だと思い出すので遠慮なく色んなことが言える。これが1年目だとまず英語もわからないし、周りが話している話題もわからないしで自分のわからないことを聞き返せずただ微笑を浮かべて座っているだけだったのだけど、気持ちに余裕が出てくると「遠慮なく聞き返す」ことを覚える。これがでかい。聞き返すためにはある程度話の輪に入っていて、慣れないうちはかなりの勇気を必要とするけれども、聞き返すことで話の輪に参加することができ、ポジティブフィードバックを作り出すことができる。
私が良く使う聞き返すためのフレーズ(頻度順):
1. "I'm sorry?"
2. "What's that?"
3. "Say it again?"
4. "I couldn't hear."
これらは組み合わせて使うことも出来ます。簡単すぎてアホらしいかもしれませんが、基本が大事なのです。体を乗り出していかにも相手の言っていることに興味がある、ということを示して言いましょう。ちなみに英語がわからないときに使ってしまいがちな"What do you mean?"は攻撃的に取られてしかめっ面をされたことが何度もあるので私は使いません。「お前は何が言いたいの?」と聞こえてしまいます。
聞き返して、「あー、なるほど」となってから自分の話に持っていけたら何も困ることはないのですが、それができない内は聞き返すだけに終わってしまうかもしれません。でもへこたれずに会話に参加しようという意思表示をしていればそれなりに会話に参加している感じを得ることができます。そうしているうちに自分のことについて話題を振ってくれるかもしれません。海外に出た日本人(アジア人)ならほとんどの人は何度も体験する試練です。でもこれを乗り越えるとあとは楽なものです。私は3年目にパーティーで遠慮なく聞き返せるようになって、5年目に会話の主役(の一人)になれるようになりました。なげーよとか言わないでください(笑)何事も忍耐です。

引越し

今日はあいにく雨の中の引越しとなった。引越し業者に頼んだので、俺は荷物を箱に入れたりまとめたりするだけでよかったのでかなり楽だ。ただ箱が外で雨に濡れたまま10分ほど放置されているのがちょっと心配ではある。
メキシコ移民っぽいおっさんとトルキスタンから来たという留学生のアルバイトの二人が主に部屋の家具をばらしたり運び出したりしていた。それにしても手際が良い。トルキスタンから来た彼は最初アジア人の見た目から東アジアから来た人だと思っていたのだけど、トルキスタン中央アジア)からだった。イリノイの大学に留学していて夏休み中のバイトをしているらしい。
運び出しが終わるとリビングはがらんどうになった。椅子が一つあるだけである。ベッドルームにはマットレスだけ。あと5日はここで過ごす。
そういえば昨日は日本は日食を見れたんですね。いや〜、俺も見てみたかったなあ。

サンディエゴ−下見編(2)

中部地方で豪雨があったんですね。近くに住んでる人はくれぐれも気をつけてください。
それでは、昨日の続きを。

翌朝7月18日、ホテルの前に咲いていたハイビスカスと思われる花。赤いのと黄色いのがあった。
朝食を食べてすぐに車のディーラーに向かう。JEROの弟(か兄)に会う。俺の相手をしてくれたのは彼とチームを組んでいるおっちゃんで、昔コメディアンをしていてオハイオにも来たことがあると言っていた。さすがに口の巧さでは敵いそうにないと早々に無駄な交渉を諦める。マニュアル車を買うつもりだったので久しぶりにマニュアルを運転してみたが、しゃっくりが止まらないような運転になった。「いやー、2年前からマニュアルを運転していなくってねー。」と言い訳はしておいた。ちなみにマニュアル車のことを英語では"sticks"と言う。ギアスティックから来ているのだと思うが複数形で使われているのしか聞いたことがないので複数形で使うものだと思われる。
手続きをしている間に、JEROの弟(か兄)は頻繁に部屋(オフィス)にやってきて、色々とJEROのコーヒーCMや紅白後の打ち上げの写真などを見せてくれた。そんな彼に対して、「こいついつもは自分の部屋に篭って出てこないのに、今日はよく出てくるなあ。」と元コメディアンのおっちゃんは言っていた。
日本人にしかわからないネタだからだろう。彼は自分の兄弟の活躍を誰かに見せたくてしょうがない、という感じだった。
あと、車の中でおっちゃんに最近Ph.D.を取った話をしたら自動車保険で"Scientists' Discount"というものがあることが判明。紹介してもらった保険会社では15%引きになるようだ。もしアメリカで自動車保険に入ろうという博士号持ちの方がおられるなら、「私はPh.D.を持っています!」と主張することを忘れずに。

ディーラーを出てからマットレスを買うと時刻は12時ごろだったので、昨日行ったレストランの近くの日系食料品店でお好み焼きを買った。それを持って「せっかく海があるんだから、浜辺で食べるべ。」と海を目指してとにかく西へ向かったら運良くビーチに着いた。風が強かったけど、涼しくて気持ちいい。海には水上バイクがやたらいっぱいいた。

インフォメーションセンター前に咲いていた花。なんという花かはわからない。

その後時間内にレンタカーを返して、出発まで8時間ほどあったので、バスでダウンタウンに向かった。やることもなくダラダラしてから歩いて空港に帰ることにする。その途中で見かけた路面電車

入り江沿いに歩く。遠くに航空母艦が見える。写真ではわからないけど、周りの船がおもちゃに見えるほどでかい。

湾の向こう側に見えるサンディエゴの摩天楼。ここまで歩くのに1時間近くかかった。

空港でさらに3時間ほど待つ。6時のフライトが出て以降は10時まで発着便がなかったので周りには誰もいなかった。最後の1時間ほどは睡魔と格闘。つかれたー。

サンディエゴ−下見編(1)

7月17日。2月終わりのインタビュー以来2度目となるサンディエゴ訪問である。でもあれから5ヶ月も経った気がしない。月日が経つのは早いものである。朝は日本人の男友達に車で送ってもらう。前日に言ったのでそれでちょっと怒られた。仲のいい友達には「こいつならいけるやろう」という甘えが生じるのがいかんね。以後気をつけます。

テキサスのヒューストン経由で計8時間ほどでサンディエゴに到着。帰ってきましたよ、サンディエゴ!前回と同じターミナルなのでもう勝手がわかる。Hertzのレンタカー場までシャトルバス(Courtesy Bus)で移動。前もって予約していた一番安い車を借りる。一日で100ドルくらい。そのときの時刻は午後3時だったので、翌日の3時までに返せるようにcrossed my fingers

去年車を売って以来、あまり運転していなかったので不安だったけどすぐに勘を取り戻せた。一旦、空港近くのホテルに向かう。その途中の道の風景。意図的に車の少ない道を選んだ。まずは運転の練習をしなくちゃね。

ホテルでチェックインしてからアパートの候補に向かう。もう行く前から第一候補を決めていたのでそこに直行(写真手前)。サンディエゴの隣に位置するラホーヤの近くなので高速を使って車で15分ほど。そして案内などをしてもらってその場で決めた。オフィスが5時に閉まるのであんまりもたもたしてる暇がなかったんよね。ホテルと違ってアパートのオフィスは大体早くに閉まってしまう。それにしても綺麗な建物が建ち並んでいる。オハイオの落ち着いた雰囲気の建物に比べてこっちの建物は華やか。南国っぽい。

その後近くのモールでスクリプス研究所のすぐ隣にあるこれまた有名なソーク研究所に勤めておられる日本人の知り合いの方と待ち合わせ。大学院留学の際に大変お世話になった方でもある。日本食レストランで夕食を食べた。うまかった。久しぶりに本物の日本食を食べた気がするなあ。気がするというか本当に前回サンディエゴに来て以来なんだけど(笑)色々とサンディエゴのことについても聞かせていただいた。ありがとうございました。
夕食を食べてからホテルには一人で戻る。高速道路は標識が読めて降りる場所さえわかっていればどこへでも行けるようになっている。便利なものだ。でも飛ばす人が多いのでちょっと手に汗かいた。