私のアメリカ大学院留学─総集編(2)

今回は大学院に合格してから卒業までについて書きます。ラストから二つめ(Penultimate)となります。

合格の通知をもらって、オハイオに行くことを決めましたが、それからも色々な準備が必要です。まずはビザを取らなければなりません。大学院生はStudent VisaであるF-1 Visaを取る必要があって、これには大学から送られてくるI-20という書類とパスポートなどを持ってアメリカ領事館に行く必要があります。私はちょうど領事館が混んでいる6月ごろ(アメリカは9月が年度初め)に行ったので、5分ほどの面接のために3時間も待ちました。Visaは発行されるまで1ヶ月近くかかると聞いていたのですが、私は2週間ほどで受け取ることができたと覚えています。

その当時私は日本の大学院にも合格していたので、そこで出発直前まで実験もやっていました。結局やりきることはできなかったのですが、日本で教えてもらった実験技術はその後、非常に役立つことになりました。

実は出発前に大学のテニスサークルの夏合宿に参加して、浜名湖(だったかな?)で1週間ほどテニスをしたその足で成田空港に向かい、出発するという無茶な計画を立てました。合宿に持っていった荷物は大阪の実家に郵送して、成田空港へはスーツケースを1つだけ持って向かいました。文字通りスーツケース1つでアメリカに旅立ったことになります。このケースには英語教本や専門書などを詰め込んでいたので、重すぎて怪しまれたのか空港では中身を調べられたり、カウンターで超過料金をかけられそうになりました。理由を説明してなんとか逃れられましたが。

こうして友達に見送られながら無事にアメリカに向けて出発することができたわけです。最後エスカレーターで友達が見えなくなるときには泣きそうになりましたが、その数ヵ月後のクリスマスには日本に帰省しましたので、それほど大した別れでもなかったのです(笑)メールもありますし、いつでも遠くにいる人と連絡できるので現代社会は便利なものですね。

  • ハイ・アンド・ロー

アメリカに来た当初はすべてのものが珍しい。道を歩いているだけで楽しいし、いたるところに新しい発見があります。英語がわからなくて恥ずかしい思いをすることも多いですが、それを補って余りあるほどの新鮮な驚きに満ちています。ちなみに私がアメリカに行った直後はスーパーのレジの人の"How are you?"さえ聞き取れませんでした(笑)TOEFLでどれだけいい点を取っても実際に使えるかどうかとは別問題である、ということを痛感しました。まあ、現在のTOEFLはスピーキングがあるので、当時よりは相関するようになっているかもしれません。このようなハイな時期は大体2週間くらい続きました。

しかしこの楽しい時期が過ぎると、段々自分の置かれている現実に気がついてきます。友達がいない、うまく英語が喋れない、些細なことで失敗する、アメリカ人に馬鹿にされているような気がする、色々なことが積み重なってきてものすごい劣等感を感じるようになります。このときにどう反応するかには二通りあって、(A)日本に帰りたい、とひどいホームシックにかかって押し潰されるか、(B)アメリカの習慣なんてくそ食らえ、と周りを卑下して自分を押し通すか、です。もしかしたら最初から巧く適応できる人もいるかもしれませんが、私はどちらかというとBの方を行って、ある時期は本当にアメリカを馬鹿にしてました。でもこれも一過性で、アメリカでの生活に慣れてくるとどちらが勝っている、劣っている、ではなく、それぞれの習慣について客観的に見ることができるようになりました。それまでは日本の習慣を押し付けるような行動や発言をしたり、アメリカ人に向かってアメリカを見下すような発言をしたり、かなり鼻持ちならない奴だったと思います。

  • 英語

上述しましたが、最初は全く英語が聞き取れないし、喋れませんでした。自分では割と自信があったのですが、自分がうまく喋れているつもりでも、後になって考えてみれば、なんかごにょごにょ言っているだけの聞き取りにくい英語だったと思います。

アメリカの大学院生はティーチングアシスタント(TA)をする必要があるので、留学生は授業を教えられるだけの英語力がなくてななりません。そこで、入学した直後に英語のスピーキングテストを受けさせられるのですが、私は見事に落ちました。東アジア人はほぼ100%落ちます。インド人のクラスメイトは普通に通っていました。このテストに落ちると、強制的に英語の授業を受けなければならず、私は丸一年間、専門の授業を受ける傍ら、英語を習っていました。しかしその間はTAをする必要がないのですが給料は払われるので、有給の語学学校生のようなものです。ですから得をしたといえば得をしています。

この間に習ったことはとても有益でした。例えばそれまで全く意識していなかった"ə"の発音(「イ」と「エ」の間、英語では頻繁に使われます)など、自分の英語の弱点を洗い出すことができました。ちなみに日本人はよく言われる"L"と"R"の違いだけでなく、母音の発音もかなり気をつけて発音する必要があると思います。また自分の発表風景をビデオに撮って何度も復習するので、自分の発表の仕方を大きく改善することもできます、というかしなければなりません。

  • 授業

(以前母校の先生に頼まれてアメリカの大学院の授業について説明したのを引用していますので、少し細かいかもしれません。)
私の大学では4学期制を導入しており(アメリカではほとんどが2学期制)、1単位は、週に1時間の講義を10週間受けた場合に相当します。実験の場合はその2倍の時間で1単位でした。アメリカの大学ではクラスごとに3桁の数字が割り当てられていますが、大学院生レベルのクラスは600番台以上で、ほとんどのクラスは講義です。私は結局実験のクラスはとりませんでした。

後述しますが、Ph.D.を取るためには、入学2−3年後にCandidacy Examと呼ばれる試験を受ける必要があり、それまでは毎学期(夏学期を除く)12単位(TAの場合)もしくは9単位(RAの場合)以上の授業に登録する必要があります。そのうちの3単位はそれぞれ論文実験、外部招聘者によるセミナー、院生によるセミナーに割り当てられており、これらは必須です(成績は可、不可のみ)。Candidacy Exam以降は、これらの3単位に登録するだけで、それ以外の授業を受ける必要はありません。

私の学科(微生物学)では、単位数の基準を以下のように定めていました。

1.微生物学の授業(セミナー、論文実験を含まない)をB以上の成績で20単位以上
2.生化学の授業をB以上の成績で8単位以上

これらを最初の2年で修了します。ほとんどの授業は1科目週2−3回で、3−5単位です。それらを毎学期2科目とるのが基本です。学生は4学期のうち1学期を休んでもいいので、夏学期には授業がありません。そのかわり、ほとんどの院生は実験をしています。

さて、肝心の授業の内容ですが、私がこちらの大学院で受けた授業は、スタイルとしては学部生のための授業とそれほど変わりありません。ただし、遥かに盛り沢山な内容です。

例えば、核酸についての授業であれば、転写、翻訳の機構などはイントロでおさらいはするものの、X線構造解析やNMRの原理、タンパク質-DNA相互作用モチーフ、核酸とリガンドの相互作用などを扱います。微生物生理学の授業であれば、基本代謝からゲノミクス、膜タンパク質の発現制御まで扱います。それぞれの項目には参考文献がほとんどの場合付いていて、原著を手繰ることもできるようになっています。また、論文発表が中心のクラスでは、授業にどれだけ参加したかが成績に加味されるので、皆、(多少は)質問します。た、グラントの申請書類を書く模擬練習もしました。

全体の印象としては、私が日本の大学院で受けた大学院の授業に比べて、こちらの授業のほうが、より体系だっていると感じます。授業は日本の大学と同様に教授が行いますが、大抵1科目につき1−3人が担当し、皆ちゃんと準備をして、自分の専門でなく、クラスの趣旨沿ったより一般的な知識を教えてくれます。また、プレゼンテーションをする機会も多く、グラント申請の練習もしました。

日本の大学院では授業一つあたりのコマ数が少ないので、あまり大きな話ができないのと、教師がコロコロかわったりするので、授業に一貫性があまり無いことが気になりました。アメリカのように名前を覚えてもらうこともあまりないですし。ただ、(教授の研究室の)ナマのデータを聞くことができるので、そういう意味では、研究をすることがどういうものなのか、ということを学ぶのには役立ったかもしれません。あと、あまり授業に時間をとられませんし、ローテーション(研究室のお試し期間、「研究」の項を参照)もないので、早く結果を残したい場合や、就活を始めたい場合などには、日本のシステムは便利かもしれません。アメリカでは修士で卒業したいという人はまずいないので、システムもそれに合ったものになっているのかもしれません。

授業時間は、私の大学では学部から大学院まで一貫して45分で休憩15分でした。たまに75分の授業もありますが、稀です。日本で所属していた大学院の授業は90分はでしたが、かなり長いと感じました。私の研究室の教授は人間の集中力は20分が限界だ、といつも言っています。

アメリカで授業を受けて気がつくことは、アメリカでは授業やセミナー中に寝る人が日本の授業に比べて極端に少ない、ということです。私も日本ではよく眠気に襲われることがありましたが、どういうわけかアメリカに来てから授業で眠たくなることはありませんでした。まあ、英語を必死で聞こうとしていたからかもしれません。でもこれではアメリカ人の学生が寝ないことの説明にはならないので、私なりに理由を考えてみると、

1.アメリカの大学院授業には試験が3週間おきくらいにあって、成績がB以下になったらキックアウトされるので、みな勉強する動機がある。
2.アメリカでは寝るような授業に出るのは時間の無駄であると考える人が多い(選択肢が多いから?)。
3.日本の大学院生は夜中まで実験をしていることが多く、睡眠時間も短い。アメリカでは7時以降まで毎日実験をする人はまずいない。
4.寝ないように努力するかしないか。アメリカではよく授業にコーヒーや飲み物を持ってきて飲んでいる人を見る。
5.みんな寝ていないから寝ない。逆に皆が寝ていたら寝る。
6.高校、大学からの習慣。
7.椅子の座り心地。

などが挙げられると思います。ただ、アメリカでもアジア人は(まれにですが)寝てる人が多いのでもしかしたら文化的な要因もあるかもしれません。これらはあくまで偏見に満ちた推測です(笑)

  • TAとRA

アメリカの大学院の素晴らしい点は、大学院生には授業料免除はもちろんのこと、生活費として毎月給料が支払われることです。理系の場合は誰でも給料が支給されるのが一般的ですが、文系の場合はそうとも限らないようなので注意してください。給料を希望しない人はいませんから、私の学科では大学院生全員が給料をもらっていました。

給料をもらう方法には3通りあります。(A)TAになって授業を教える、(B)リサーチアシスタント(RA)になって研究だけに専念する、(C)奨学金を獲得する、です。それぞれの給料の出所は(A)大学、(B)研究費、(C)奨学金財源となっています。

RAとはつまりTAをしなくていい大学院生のことで、自分の所属する研究室で実験をすることに対して給料をもらえる仕組みです。TAに時間を取られなくてもいいという点で、(B)か(C)が理想ですが、RAの場合給料は研究費から支給されるので、研究室に十分なグラントがなければ、RAにはなれません。奨学金は運と能力がないと貰えません。そこで研究室にお金がないと、大学院生はTAとして学部生の授業を担当する必要があります。

それじゃあもしTAが多すぎて担当する授業が無くなってしまったらどうするの?と疑問を持つ方がいるかもしれません。しかし給料がもらえなければ、ほとんどの生徒は生活できないので、大学院をやめなければならなくなります。学科としてもそれは困るので、RAができなければ、無理矢理にでもTAの口を手配してくれます。今まで、TAになれなかった人は聞いたことがありません。あまりにTAの仕事態度が悪くて(無断欠勤などで)解雇された学生はいましたが・・・。

日本の大学院生は無給のRAのような立場ですが、その割には実験をアメリカのRA並かそれ以上やるので、割りに合わないと思いうのです。ヨーロッパではアメリカ式の給料がない代わりに奨学金が充実していると聞いたことがありますが、真偽はわかりません。

  • 研究

こちらの大学院の授業は、コマ数も多く、試験も充実しているので、それだけで結構な時間を取られます。そのため、最初の一年はあまり実験に集中できないのですが、その間はローテーションという形で色々な研究室を見て廻るいわゆる「お試し期間」なので、ローテーションが終わる翌年の夏からは本格的に研究を始めることができるようになっています。

このローテーションという制度は私が手放しで賞賛できる制度で、大学院生は入学当初はプログラムに所属する(時には外部の)研究室のどこにでも行ける可能性があるのです。もちろんその研究室のスペースや研究費の関係で学生を取れないこともよくありますが、入学前から特定の研究室を指定する必要はないので、入学後にじっくり自分のやりたいことを体験を通して選択することができるのです。私も入学前に考えていた研究室には結局行かず、ローテーション中に「これだ!」と思った研究室に参加しました。大学院生にとって入学する前に研究室の内情を知るすべはないので、この制度はありがたかったと思います。

実験を行うにあたっては日本の研究室で習ったことは非常に役に立ちました。アメリカの学部生は研究室で研究をすることを義務付けられていないので、実験に関しては何も知らない学生も結構います。まずはピペットマンの使い方から覚えなければならない、とか。それに比べて私は曲がりなりにも一通りの基本的な実験を自分でできるようになっていたので、スタートダッシュはクラスメイトに比べてかなり速かったと思います。これは日本人の学生がアメリカの大学院で成功する確率を高めてくれると思います。知識に関してはほとんど差はないと思います。ただしこの法則はいわゆる一流大学では通用しないかもしれません。

アメリカの研究体制については以下の過去エントリーを参照してください。

[参考] 日本の科学のこれからアメリカ大学院留学の利点

  • Candidacy Exam

Candidacy Examとは日本の大学院で言うところの博士課程入試に相当し、これに合格すれば博士候補生(Ph.D. candidate)になることができます。一旦候補生になってしまえばそれから何年かかろうとも、博士号を取ることは保障されます(常識の範囲内で実質的な上限はあるでしょうが、10年近くいることも不可能ではありません)。もしこの試験に不合格だった場合、希望すれば修士号を取ることができます。また、試験前でも、ドロップアウトしたいときは論文を提出して口答試験に通れば修士号を取得して退学できます。日本と違って、修士号は博士号を取れなかった(もしくは取らなかった)人への手土産のような位置づけです。

この試験を受けるためにはまずこれからの自分の研究を審査する委員会(Graduate Committee)を教授を選ばなければなりません。これに参加する教授は普通自分の所属する研究室のボス(アドバイザー)を含めて4人で、そのうちの1人は他の学科から指名するのが理想的です。誰を選ぶかはその学生の裁量に依っています。私は最初お願いした教授に無下に断られたので、「こんにゃろー、もう年寄りには頼まねー!」と反発して全員30代の若手教授になりました(笑)でも若い教授のほうが年齢も近いし時間もあるので、なにかと相談に乗りやすいというメリットはあります。

試験では、「今まで何をしたか」よりは「これから何をするか」と「そのために何を知っているか」が焦点になります。まず15ページほどの研究計画(プロポーザル)を提出し、それが委員会に認められれば口頭発表して委員会のメンバーからの容赦ない質問に答える、という流れになります。私の場合は予想したほど厳しい質問はなかったのですが、人によっては泣き出すこともあるようです。怖いですねー。私のクラスメイトは全員通りましたが、10人に1人くらいは落とされるようです。他のプログラムや大学ではもっと厳しいところもあるという話も聞きますので場所にもよると思います。

  • ThesisとDefense

実験でいくつか結果が出て、論文も何報か出すと、「そろそろ卒業できるな」というのがわかってきます。私の学科には「論文を何報」等の明確な基準はありませんでしたが、1報か2報論文を出せば普通は卒業できます。ボスに聞いて「いけんじゃね?」と言われれば大丈夫です。私は幸運にも早い段階で論文を出せたのですが、卒業した後の行き先を決めるのに時間がかかったので、それが見つかった時が卒業する時でした。ポスドク先を探していた頃については、「Traveling」のカテゴリを参照していただければインタビューの時の様子が書いてあります。

卒業するためのステップは、基本的にCandidacy Examと同じように筆記(Thesis/Dissertation、博士論文)と口頭試問(Defense)に分かれていますが、今回は「今まで何をしたか」が主題になります。Thesisは私のやつは6章構成で、最初の1章は序論、最後の1章はPerspectives(これからの課題)で、その他の4章は研究結果を元にしていました。ほとんどの結果はすでに論文として発表していましたので、論文をつなぎ合わせただけでした。こう言ってはなんですが、それまでの苦労と比べれば卒業すること自体はそれほど難しくありませんでした。Defenseまで行くとほとんどの人は通るようです。落ちるような人はそもそThesisが承認されません。

Defenseの様子は下のエントリーを参照してください(大したことは書いていませんが)。
[参考] Call me Doctor

  • 卒業

卒業が決定すると、研究室でパーティーをしたり、クラスメイトとバーベキューをしたり、かなり精神的に楽になりました。"Free as birds"ですね。私は4年と9ヶ月で卒業したことになりますが、クラスメイトで一番乗りでした。私のプログラムの平均卒業年数は6年なので早いほうではありました。化学系では5年が当たり前らしいですが、まあ私の研究分野は生化学に近かったので、妥当なほうかもしれません。
卒業式の様子は「卒業」カテゴリを参照してください。Ph.D.アメリカで取れたことは私にとっては誇りであり、それまでの過程はつらくもありましたがいい思い出です。
最後のエントリーは1週間ほど後になるかもしれません。