日本の科学のこれから

7月9日付けのNatureに日本の科学界の将来についてのエディトリアルが出ていました。実は先週には書きあがっていて公開しようかどうか迷ったのですが、結局公開することにしました。
Editorial:Japan's tipping point (Nature 460, pp151)
日本の文部科学省が発行している科学技術白書に基づいているようですが、かなりネガティブなトーンに満ちています。

[要旨]
 
日本は国際競争の激化と若年人口の減少から、世界における研究大国としての地位から滑り落ちるかもしれない。
 
科学者の総数
未来は暗い。1998年からの10年間で大学の研究者の数は約15万人から17万人に増えたが、37才以下の研究者の数は1万人減った(約37万人から36万人)。科学技術を学びたいと考えている大学生も1992年の約100万人から2008年には63万人に減少。
 
国際化

"As international competition for scientific talent intensifies, Japan is closing in on itself."

日本で博士号を取得する海外出身者の数は、アメリカやイギリスの約40%に比べて、10%と低い。また大学や研究所で働く外国人科学者はたった1.34%である。また、国際経験は日本で最も創造的な知能を生んできたにも関わらず、日本の科学者は海外に行きたいとは思わなくなってきている。3ヶ月以上海外の研究室に在籍した経験のある研究者は1997年の約7千人から2006年には4千人に減った。
 
女性の参画
女性の科学への参加の呼びかけはあまり実を結んでいない。女性は研究職の12%を占めるのみである。
 
若手研究者
日本政府は若手研究者を支援するため多大な努力を払ってきた(少なくとも白書に書かれている上では)。28の研究機関がテニュアトラック制度を導入し、柔軟性を増すために若手研究者への研究費の30%は今や間接経費として使える。しかし、これが日本の伝統的な研究体制を変えられるのかはわからない。また、大学への研究予算が毎年1%ずつ減っている中で若手研究者の就職が依然として難しい状況は変わらないだろう。
 
政策
日本政府は急進的な政策を打ち出している。95億円をかけて横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校を設立、また景気刺激策として30のプロジェクトに5年間で2700億円を投じる予定である。しかし競争的グラントの長期的な供給や、若手研究者のテニュアトラックの充実が優先されるべきではないか。

"How much longer can Japan afford to lose the talent that its system is either chewing up or simply not developing properly?"

外界からの才能の大規模な流入が期待できない現在、日本は若い独立した研究者に地位と機会を与える必要がある。若い研究者へのサポートがこれからも期待できなければ、日本の科学力はこれから落ちていくだけかもしれない。

 
私も日本から飛び出した者として、無関係ではありません。私は日本に帰りたいとは言っていますが、実際のところ「研究」の分野だけで見ればアメリカのほうが日本より環境がいいのです。もし家族や友達が皆アメリカにいればアメリカに残ることを決意してしまいそうです(ただし日本食が食べられるところに限る)。研究環境以外でも日本の社会状況がこれから良くなるか悪くなるかと言われればあまり期待はしていません。それでも人々は押しなべて親切だし、犯罪も少ないし、社会保険も(今のところは)アメリカより手厚いし、水や緑は多いし、住みやすさは抜群なのですが。
それではここでアメリカの研究環境の何が魅力的なのか考えてみました。異論あるかもしれませんが、あくまで私の見解です。なんでお前ごときが書くねん、と言われそうですが、まあそこは一つの議論のきっかけとして考えてもらえればと思います。
(1)独立した研究を行える。
アメリカではテニュアトラック制度以前のエントリー参照)が浸透しており、アカデミックな研究職とはほとんどの場合独立した研究室を持つことを指します。このとき、一つの研究室で働くメンバーの数は多くて10人ほどとあまり多くはありませんが、研究プロジェクトは完全に自分の思うままにできます。自分が思い描くプロジェクトが無ければどうもなりませんが、それを見つけるのも研究者としての能力のうちです。きついと言えばきついですが、これを乗り越えれば乗り越えなかった場合より遥かに得るものは大きいと思います(能力面でも成果面でも)。
(2)研究者同士の交流が密である。
日本の大学は設備はいいのです。有名大学の研究室なら金もあるし、アメリカの小さな研究室とは比べ物にならないほどいい機械がいくつもあったりします。でも自分の経験を基にして言うと、研究室どうしの交流はあまりありませんでした。隣の研究室が何をしているのかもわからなければ、同じ研究科の他の研究室との交流もありません。だから機械の貸し借りもしないし、技術サポートも受けにくいのです。思うに研究室はもう少し小さくてもいいのではないでしょうか。アメリカにもビッグラボはありますが、基本は少数精鋭だと考えたほうがいいでしょう。一つの研究室だけですべてをまかなうのはよほどマネージメント能力のあるボスでない限り難しいはずです。科学者にそれは期待しにくいと思いますし、そもそもそのトレーニングもされていません。
(3)幅広い分野に研究費が分散されている。
日本の大学にも著名な研究者は多く在籍しています。「日本にもいい大学がいっぱいあるのになんでアメリカに来たの?」という質問もよくアメリカ人からされます。しかし有名な研究者の分野的な広がりを見たときに、どうしてもその薄さが目立ちます。研究費が有名な研究室に集中する傾向もますます強くなるような気がします。基礎研究のあまり有名でない研究室はどんどん淘汰されていくかもしれません。でもそれでいいのでしょうか。これまでに成果を出している研究室にどんどんお金を与えて大きくしていけば日本の研究の将来は安泰なのでしょうか。私はそうは思いません。重要な発見がなされればその発見に多くの角度からタックルできるように、より広い分野に研究費を分散させる必要があると思うのです。どれだけすごい発見をした研究室でもそこ一つだけでその発見を発展させられるはずがないのです。またこの一極集中法は若い研究者への機会を奪います。最もプロダクティブな時期をボスにへーこらして過ごさなければならないような仕組みは、ただの才能の無駄使いじゃないでしょうか。大きな研究室は解体して、助教や准教授に研究室を任せることが必要だと思います。
(4)生徒との距離が近い。
日本の研究室では20人以上在籍しているところが普通なのに比べればアメリカの研究室の人数は遥かに少ないですが、その分研究室のメンバーと緊密な関係を結ぶことができます。また修士課程の学生がワラワラいる日本の研究室に比べて、アメリカでは大体の大学院生がPh.D.を目指しているので学生の質もあきらかに高いです。アメリカの大学院生は実験の経験がほとんどないので最初の1年ほどは実験手法を教えるので精一杯なのですが、それ以降はどんどん伸びていきます。やる気のない学生もいますが相対的にはその中でひときわ輝く学生も日本より多いでしょう。
(5)研究者の社会的地位が高い。
「博士号?なにそれおいしいの?」ということはありません。格差はありますが、ある程度有名な研究者はそれなりの給料を貰えます。また、アメリカでは日本のように「研究者とは自分の好きなことをして楽に暮らしている」と思われるというよりは、「研究者は特別な才能を生かして役に立っている」と思われていると感じます。こう思われたほうがモチベーションが全然違いますよね。「社会の期待に沿いたい」と思えます。
 
これら以外にも女性であれば、制度面でも環境面でもアメリカに残る理由は多くあると思います。これらの点は多くの要因が絡み合って形成されているので、これをこうすれば改善される、というようなものではないと思います。それでも日本に出来ることはといえば今の仕組みを変えることしかないので、一応思いつくままにオプションを挙げてみます。
テニュアトラックを普及させる
・重点テーマを幅広く取って応用研究のテーマであっても関連した基礎研究に柔軟に研究費を配分する
・大学院生への奨学金を充実させる
・社会の科学への理解と興味を促進する機関を作る、もしくはそれを奨励する仕組みを作って博士号取得者を配置する
テニュアトラックは競争力のない大学では逆効果かもしれないので一部の大学でいいとは思いますが、いまよりもっと増やすべきだと思います。あと、いかに「民」を取り込むかというのが重要な気がします。
これを読んで、私が実は日本に帰りたくないと思っているんじゃないかと思っている方もおられるかもしれませんが、それは誤解で、こういう短所もあるけれどもそれ以上の魅力も日本にあると思っています(私的、公的ともに)。それについてはもう散々書いてきたと思うので、割愛します。あと、自分が日本を良くする手助けをしたい、という思いがあるのも確かです。
乱文申し訳ありませんが、自分の考えをまとめるためにも書いてみました。なにかの足しになれば幸いです。