テニュアは必要か

卒業式を前にして体調がよくない。昨日ほどじゃないけど、時間がいつもの1.5倍の速さで流れているような気がする。昨日は夜中に目が覚めて眠れなくなったり、腹の調子が悪くて大変だった。しばらくは露店で食べ物を買うのは避けよう。そういえば「体が一番大事やで」ってちょっと前に言われたばっかりやのに、これじゃ合わす顔がないな。
それはそうと、今日の昼食中に読んだScienceに(一部の人には)面白い記事が載っていのたので紹介します。私のところにScienceが届くのはいつも1週間遅れなので、この記事は2週間前のものになります。遅すぎますけどご了承ください。
Education Forum: Tenure and the Future of the University (Science Vol. 324, pp.1147-1148)
テニュアとはファカルティー(教授)の終身雇用制度のことで、通常、数年間の任期付きの採用期間を経て、その期間中に一定以上の能力を持っていると認められれば、得ることが出来ます。テニュアが得られるかどうかは日本でいうところの助教(Assistant Professor)から准教授(Associate Professor)に昇進する時点で査定されます。ハーバードなどではAssociate ProfessorでもまだテニュアがもらえなくてFull Professorになった時点でやっともらえるらしいですね(安田涼平さんのページより)。さすがハーバード。
日本でも東工大などでアメリカ式のテニュアトラックを採用するところが出てきていますが、アメリカではこのテニュア制度に対する疑問も昔からありました。つまり終身雇用制度が必要なのかどうか、という疑問です。テニュアを無くして、完全に市場原理に任せてしまえば、研究者のパフォーマンスも向上してよりよい成果が得られるのではないか、という主張です。これには以下の論拠が挙げられています。

  • 終身雇用制度はモラルに反する
  • テニュアは資源の再配置を阻害する
  • テニュアは「枯れ木(deadwood)」の教授を守っている
  • テニュア制度は柔軟性に欠けており、運営側が大学や学科を改善する能力を制限している

大学の運営資金が枯渇してきている現状で、高給取りの死んだ魚のような教授を飼っているよりは、活きのいい安い若手のファカルティーを任期付きで採用したほうが得だ、というモチベーションが働くのは仕方ないかもしれません。アメリカでは1970年に全ファカルティーの55%がテニュアトラックの教授(助教、准教授、教授を含む)であったのに対し、2007年にはおよそ31%まで減少しています。その分、非常勤(Part-time)のファカルティーが1970年の22%から2007年の49%に急上昇しています。非常勤のファカルティーは主にコミュニティーカレッジ(公立・州立の短大)で増えているようで、彼らは通常研究をせずに授業を教えることが仕事となっています。でも非常勤の割合が増えたのはコミュニティーカレッジが増えたからかもしれません。テニュア制度が維持されている現状では、どれくらいのテニュア持ちの教授が「枯れ木」でテニュアを無くせば切られる運命なのかを定量的に調べる術はないのでしょう。
しかしこの記事の筆者(マサチューセッツ大学教授)は、大学の授業料が大幅に増えたのに対し、テニュアトラックの教授の給料はほとんど増えておらず、彼らの給料が大学の財政を圧迫している要因ではないと言っています。また、生徒は非常勤講師よりはテニュアトラックの教授に授業を教えてもらうことを好んでおり、テニュアトラックの教授を雇用することは大学の質を上げることにも貢献していると主張しています。また、短期的な成果を追い求めるビジネスの制度は、長期的な成果を重視する大学の研究には馴染まないかもしれません。

"Just as the business model of recent years focused on short-term profits and stock prices and just as executives made huge bonuses based on illusory success, so too administrators may be concerned with being able to show a short-run accomplishment that will help them get the next job at some other institution, even if their actions undermine the long-run values and strengths of the university."
 
(和訳)「近年に見られる短期の利益や株価に焦点をあてたビジネスモデルや、幻想でしかない成果に基づいて巨額のボーナスを得るエグゼクティブのように、大学の運営者も、例えそれが長期的な大学の価値や強みを減少させることだとしても、短期的成績を挙げて次の職を得ることに汲々とすることになるかもしれない。」

筆者はテニュア制度は完璧な制度ではないが、大学の質に大きく貢献している、としています。
教授の終身雇用制度、社会の中でかなり特殊な制度ですが、もしテニュアが無くなって、最初の数年を過ぎてもずっと不安定な地位が続くとすれば、果たして教授に魅力を感じる人たちはどのくらいいるでしょうか。大学からプレッシャーをかけられるまでもなく、現在では研究費の獲得に過酷な競争が待っており、すでに短期的成果を追求する風潮は強まっているような印象があります。潰しの利かない教授職はもし解雇されれば別の職を探すのは多くの他の職業と比べて遥かに難しいはずです。日本の教授職はもっと流動性があってもいいとは思いますが、何でも市場主義のアメリカで過度の流動性は結局研究の質を落とすことになりかねない、というのが私の意見です。
しかしながら、全大学一律ではなく、いくつかの大学(特に有名大学)でテニュア制度を廃止してみるのも一つの案かもしれません。それで10年後にどのような結果が出るか、見てみたいとも思います。